気ままにバツイチ・シングルライフ -6ページ目

ヒプノセラピー2回目

え~と、今回はちょっとシリアスです。
ホントはけっこう暗いの、アタシ。


セラピストのカウントダウンとともに暗闇の中を降りていく。

洞窟のようなところにいる。ゴツゴツした岩肌。
天井が高く、広く、明るい。
コンピュータがたくさんあってたくさんの人が立ち働いている。
何かの基地のようだ。
中をぐるりと廻って階段を昇っていく。
お日様の陽を浴びているように明るい。
光の中に吸い込まれていく。

白い光に吸い出されたのは宇宙のようだ。
周りを見ると、仲間がたくさん一緒に宇宙遊泳を楽しんでいる。
宇宙服など着ることもなく。
クルクル廻ってみたりみんな楽しそうに流されていく。
無数の星屑のように、白い帯のように天の川のように。

「その仲間たちの中に、今知っている人はいますか?」
セラピストに尋ねられたが、知った顔はない。

あまりの数の多さに、ひょっとしてこれは受精する前の精子たち?などと思っている。
あとで考えると精子の一匹一匹(?)に魂があったらえらいこっちゃ、と思うのだが。

そうしているうちに、また大きな白い光の中に吸い込まれていく。

気がつくと、そこは薄赤い柔らかなファブリックに囲まれた部屋の中だった。
ほんのりと明るく温かく、居心地がいい。
ふかふかしたソファでうたた寝する女の子。
ハタチになるかならないかくらいの、まだ少女らしさを残している。
「ママが大好き」
「もっとここに居たかったよ」
その子はそう伝えてきた。

この子は自分なのかな、ここは母の胎内なのかもしれない。
そう思ったら涙が止まらなくなった。
母とは確執、というほどではないが、反りが合わない、というか、表面上はいい関係のように付き合ってきたが私とは分かり合えない、というあきらめに似た感情を持ってきていた。
私は我が強くて屁理屈をこねる扱いにくい子供だったようで、母はかなり持て余していたらしく全寮制の学校に入れようかと本気で考えたこともあったと聞いたことがある。
虐待とまではいかなくてもケンカして逆上した母によくぶたれたこともあった。
今にして思えば母なりに辛いことがあって、その矛先が私に向いてしまったんだろうなぁ、と理解できるし、恨んだりはしていないのだけど。
それでも胎内にいるときから、母に望まれて愛情を注がれてこの世に生まれてきたんだ、ということを実感して、涙が止まらなくなった。

そのあとにどんなヴィジョンを見たのか、憶えていない。

あとになってあの子は私自身ではなく私の3人目の赤ちゃんではないかと思えてきた。

もう8年も前、3ヶ月に入ったばかりで流産してしまった赤ちゃん。
男の子か女の子かもわからず母子手帳も申請する間もなくいなくなってしまった。
確かにこのおなかの中に存在していたのに。

妊娠したかも、と気づいたとき「失敗した」とおもった。
二人目の息子がようやく幼稚園に入って、やっと育児に一息ついたところだったし平日が休みの夫と二人で、子供抜きで出かける時間ができて楽しい時期だった。
仕事をする時間も増えて、それまで行けなかった展示会や仕入れにも自ら行けるようになってとても充実していた。
子供が嫌いなわけではないが、そんな時間を奪われるのが正直、いやだった。
生理が遅れているだけかもしてない、と通経作用のあるローズマリーの精油を部屋で焚いてみたりした(本来、妊娠初期には使ってはいけない精油のひとつ)

産婦人科で妊娠がはっきりして家族に知らせると、みんなすごく喜んでくれた。
夫も、子供たちも、姑も、実家の両親も。
そうして私はようやく新しい命を受け入れる気持ちになったのだった。

2回目の検診の時「赤ちゃんがあまり育ってないようなのでもしかしたら流産になる可能性も考えておいてください」と言われ、実際数日後に出血が始まってしまった。
「悪い夢であってほしい」と、祈るように思った。
病院に行くと「もう胎児は死んでしまっているので掻爬しなければならない」と聞かされた。おなかの中をきれいに掃除するのだと。
よくあることだ、とたまたま弱い細胞だったんですよ、と先生は言ってくれた。
自分の身に起きたこととは思えない、他人事のように感じていた。全然涙も出なかった。

翌朝夫に送ってもらい入院して、午後から手術を受けることになった。
夫についていてほしかったが仕事や子供たちが家にいることを考えると言い出せず「子供じゃないんだから」と自分に言い聞かせた。待っている間ひとりでちょっと泣いた。

吸入器をあてがわれ、数を数えるように言われて「1、2、3」というか言わないかのうちに意識がストンとなくなった。
手術が終わってから朦朧としながら気持ち悪くて吐いたような気がする。
意識が戻ってくるとお腹が痛くて痛くて、呻き声をあげていた。
隣のベッドのカップルが(堕ろしたらしい)ナースコールしてくれて座薬を入れてもらった。
夕食後、夫に迎えに来てもらって帰宅。2ヶ月くらいしたらまた赤ちゃんをつくっていいですよ、と言われた。
寝るとき悲しくなって泣いていたら夫が抱き寄せてくれた。

翌日からは何ごともなかったように、いつもの私に戻っていた。
妹か弟が生まれるのを楽しみにしていた子供たちの前で私が悲しそうな顔はしちゃいけない。
夫や姑だって、それでも私の身体を心配してくれているのだから。
流産なんてよくあることなのだから(実際4人に1人はするらしい。友人も何人か経験している)。
私は自分の悲しい気持ちを封じ込めてしまった。

そうしてこの2回目のセッションを受けるまですっかり忘れたつもりだった。自分がこんなにも悲しかったなんて、変なハナシだが全然気づいてなかった。
始めに妊娠を喜べなかったことで赤ちゃんに対して後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。心の隅っこで流産を望んでいたことの罪悪感なのか。
このセッションから2年たって、いまだにときどき考えている。
セラピストは「あんまり考えすぎないように」と言ってくれた。

そもそも私はまず頭で感情を考えてしまうところがある。
「こんなことで怒るべきではないのでは?」
「よくあることなのに私だけ悲しんではいけないんじゃないかな」とか。
もちろん、大人なんだから感情のままに泣いたり笑ったり怒ったりしちゃいけない場面があるのは当然だ。
私の場合、反応が遅いといっても過言でないのだ。

このセッションで、自分の感情を大切に、そして素直になろう、と思った。

セッション後、しばらくしてから夫(元)に同じ内容でメールしたら「しっかりしろ!いつまでも何を言ってるんだ!」と叱咤するメールが返ってきた。
私はいつまでも過去に囚われてウジウジしているわけではない。
そのときの気持ちをシェアしたかっただけだった。
「ああ、そうだったんだね、僕も悲しかったよ」って。
わかってはいたけど「この人とは永遠に平行線だな」って改めて思った。

ミュシャ展

大好きなミュシャ展を観に行ってきた。
前回日本で開催したのは確か大学生のころだからかれこれ21~3年前ってことだな。
そのとき1番印象に残っている「百合の聖母」ももちろんあった。
今回の240点のうち日本初公開の作品は100点もあったという。
すごいボリュームで見ごたえがあった。
ってゆーか、疲れた。

もうすぐ終了(3/27迄)だし、学生は春休みに入ってるしでエライ込みようだった。
入場に15分待ちだもん。
入場しても作品の前にスゴイ人だかりでチビの私にはさっぱり見えん。
不思議なもんで、有名なリトグラフの前はなかなか動かないんだけど、油彩とか習作、下絵の類の前はがらがらなんだよね。
私はけっこうそっちの方がおもしろかったけど。
何と言っても画家の手による生ナマしさ、みたいなものが感じられるじゃない。

薄茶色の紙に鉛筆と、ホワイトによるハイライトだけで額に入れれば作品として成り立ってしまう。
すごく完成度が高い。習作、下絵といっても。
緻密な人だったんだろうなぁ。
スケッチブックとかも展示してたんだけど「あらぁ、上手ねぇ」とかおばちゃんが言っていた。
必ずいるな、こーゆーおばちゃん。

ポスターの人物とともに印象的なのはデザイン化された植物、文様。
ウィリアム・モリスを連想する。
…アール・ヌーヴォー風のTATTOOっていいな。
今、足首にアンクレットみたいにグルッと入れようと思ってデザインを考えている。
いいよねぇ!

ヒプノセラピー1回目

ヒプノセラピーのアプローチの仕方はセラピストによって違うらしい。

1時間ほどのカウンセリングのあと、ソファに深く座り、セラピストの指示に合わせて深呼吸3回、カウントダウンに伴って心の深くまで降りて行く。

「今どんなところにいますか?」
「何が見えますか?」
「誰かそばにいますか?」
など、セラピストの問いかけに一生懸命見ようとする(意識ははっきりしている)。
何も見えない。真っ暗な中を手探りしてさまよっている。

いつの間にか光の中を漂っている。居心地がよい。けれど、誰かが長くここにいちゃいけない、と呼びかけている。
幼い女の子の私。冬の曇り空。クラシックな車に乗ってどこかへ行くらしい。
外国の町並み(何故かドイツと確信している)。
若い兵士と話している私(さっきの場面の女の子じゃない)。
兵士と同年代の男の子。
マリオという名らしい。兵士の行進。これを見にきたのだろうか?
(前世なのかしら…と思っている)

野原。夕焼けで真っ赤な空。小さな子供の私がひとりで見上げている。
ひとりっきりだけど寂しくも悲しくもなく、希望に満ちている。

1回目のセッションはそこで終わり。
カウントアップとともに戻ってきた。

セラピストは、催眠中に話した内容を交通整理するみたいな感じで、特に分析してくれるわけではない。
あなたの前世なんですよ、とか言ってくれるわけでもない。

私にもあのヴィジョンがどんな意味があるのか、今もって全然わからない。
ただ言えることは、その1度のセッションで私の精神状態は劇的に改善したということ。
心の中の何かが融けて流れたように、とても穏やかな気持ちになった。

でもそれは根本的な問題の解決ということではない。
これから本格的に自分と向き合う作業が始まったといえる。

つづくっ!(オダギリジョー風)

ヒプノセラピーのこと。

昨夜どっか飛んでいってしまったとばかり思っていたコンタクトレンズが、朝顔を洗っていたら目から出てきた。

……目の、どこに入ってたんだ?

ところで、最近ネタ切れ気味なので過去に体験したヒプノセラピーのことなんか書いてみようかな、と思う。
ヒプノセラピーというのは退行催眠療法といって精神科のお医者さんが扱うこともある、れっきとした療法。
2年ほど前に月いちで通っていた。
精神状態がかなりヤバイ時期だった。
何故ヒプノセラピーを選択したのか未だにわからない。
結果的には1年間通ったわけで、頭の中を整理するのに役にたった。
どんなに信頼している友人にも言えないことだってあるし。

セッション中に見たヴィジョンが本当に私の過去生なのかはわからない。
そんなことは誰にもわからない。
けど、面白い体験だったので何らかの形でまとめたいと考えていた。

文章化することで、違う面がまた見えてくるかもしれない。

恋するおばさん

先日、いつものショット・バーに飲みにいった。
お客は私ひとり。
1杯目を飲み終わるか終わらないかくらいに、2人の女性客が入ってきた。
もうどこかで飲んでいるらしく声が大きくてちょっとうるさい。
あまりガラがいいとは言いがたい感じ。
同じくらいかなぁ、いや、私より少し若いかもしれない。
ま、とにかくオバさんであることは間違いない。

二人は声高にしゃべるので否応なしに話の内容が聞こえてくる。

「アンタ好きなんでしょ、だったら会いたいって電話すりゃーいいじゃん」
「でも、ウザイと思われてるかも」

℡かける。
「あ、センセイ、こないだメールしたのに返事くれなかったでしょ。ウザイのかなぁと思って。」
「会いたいの。…もう、いい!」

℡している隣でもうひとりのおばちゃんが、あー言えこー言えとゴショゴショ言っている。
℡している方は一方的にしゃべって一方的に切ってしまった。
しばらくしてからまた℡していたけど、私が待ち合わせていた友人がきて少し離れた席に移動したのでその後は知らない。

正直言って。

醜悪だった。

いい年をした中年女が女子高校生(今どきは中学生並みかも)みたいなことをやっている。
℡しているそばで「会いたいっていいなよ!」とかゴショゴショ聞こえてきた日には、そりゃ、相手のセンセイとやらも引くわな。

だけど。

あそこまで子供じみたことはしないけど、心情的に自分の姿がかぶって馬鹿にして笑うことはできなかった。

私も人から見ればあんなに醜悪なのだろうか。
こんなオバサンになって恋をすること自体が醜悪なのだろうか。
だからこそ、あの二人の姿に同類嫌悪を感じてしまったのかもしれない。

でもね、私はやはり自分の気持ちに嘘はつけない。
彼は振り向いてくれなくても私にとっては必要で大切な人。
きっとお互いに必要があって廻り合ったのだから、例え友だちとしてでもこの縁を大事にしたい。
ときどき苦しくなるけど、たまに会えたときはその分すごーくうれしい。
そのあと数日は幸せな気分で過ごせる。
いつもいつも彼の存在そのものに感謝している。

…げげ、ゴーカイに洟かんだらコンタクトがどっか行っちゃったよ。

以前、苦しくなってしまった時に救われたメッセージを紹介。

「愛とは選択する権利を相手から奪わずにそばにいること。」
     やすらぎの部屋 日替わりシンクロニシティ・メッセージより。

やっぱダメ。

め、目が痒い!
鼻水が止まらない!

子どもの話題

「とくダネ!」を見て朝から泣いてしまった。

ひとつは佐世保の小6同級生殺人の小学校で卒業式だったという話題。
亡くなった怜美さんのお父さんが代わりに卒業証書を受け取ったという。
同級生の子供たちはどんな思いなんだろう。
何故マスコミはそっとしておいてあげないのだろう。
怜美さんの父親は皮肉なことに毎日新聞の佐世保支局長だった。
取材する側がされる側になって矛盾に苦しんだことだろう。
愛娘を突然亡くす、それも理不尽な殺人によって。
それでも、なおかつ加害女児に配慮したコメント。
憎いだろうに。同じようにカッターで首に切り付けたいだろうに。

もうひとつは、ミュージシャンのYUKIの息子が1歳11ヶ月で突然死したという話題。
いつもどおり「おやすみ」と言って眠ったまま朝になっても目覚めなかったという。
もうすぐ2歳。男の子は言葉が遅いから、やっと少し話せるようになった頃だろう。
毎日新しいことをおぼえて、毎日笑わせてくれる時期だ。
突然死んでしまうなんて…。

自分で子供を持ってから、子供の話題に弱くて困る。
どうか、どうか世界中の子供たちが幸せに暮らせますように。

アネモネ大好き。

休日に花を買いにいった。
1軒目はあまり好みのがなくてパス。

2軒目は駅前のスーパーに入っている花屋さんで、500円のミニブーケが可愛かったので買おうと思ったら、アレンジメントをラッピングしていて時間がかかりそうな気配。
「このままでいいんだけど」とお金を払おうと声をかけたけど、24~5才の割とイケメンの店員さんは仏頂面で返事もしない。
超~ムカついたので、元の場所に戻して別の店に行くことにした。

少し遠いけど昔からある花屋さんにいったら大好きなアネモネが1束300円だった。
うれしくなって色合いを見て2束選びレジに持っていった。
するとおばさんの店員さんが「あ、これ茎が悪いのが1本入ってるのでもう1束おまけしますね。」と言ってさらにもう2本入れてくれた。
超~ラッキィー!でハッピー!

もうもう、さっきの不愉快な気持ちはどこへやら。
あの仏頂面のオニイチャンのおかげで大好きなアネモネをたくさん安く買うことができたんだもん。
「よしよし、これに免じて許してやる。」とひとり心の中でつぶやいたのであった。
だけど、もう二度とあの花屋じゃ買わないもんね。

決心したぞ!

今の職場を辞めよう、と決心した。
もともとあまり条件のいい会社とは言い難かったが、自分の勉強になることもたくさんあったのであと1年くらいは頑張ってみるつもりだった。
が、メリットとデメリットを秤にかけてデメリットの比重がどーんと大きくなってしまったのでこれ以上いても意味がないという結論に達したのだ。
私は不平不満があっても割りと「辞めてやる!」とか言わないタイプだが、自分にとってメリットが少ないと判断すると、即座に決心する。迷わない。

そもそも社会保険にも厚生年金にも加入してない会社だし、ボーナスも退職金もない。
この先アルバイトでもなーんにも困ることはないわけだし。
忙しく働くのは全然苦にならない。
むしろ、ヒマなほうが苦痛だし疲れる。
歳が歳だから雇用にやや不安はあるが、ひとりだし何したって食べていくくらいはできるわさ。

とは言うものの「退職の意思は90日前に会社に申し出ること」という規定があるのですぐには辞められない。
今、あと釜になる人もいないし。

やれやれ、早いとこ就職活動したいよう。

ホームメイドの味。

ご飯は食べたし、柿の種も食べたし、お腹は空いてないのだけど何か食べたい。
あ、そうだ。
冷凍庫にハーゲンダッツのアイスクリームが1つあったんだっけ。
息子たちが来ると「デザートないの?」とかうるさいのでミニカップ6ケ入りのをスーパーで安いときに買っておいた最後の1つだ。

私が好きなのは抹茶かストロベリーだけど、シンプルなバニラもたまにはいいわ。
スプーンで掬って口に入れると、なんだかふんわりと懐かしい風味が鼻腔を抜けていった…。
アイスクリームを家でつくったこと、ある?

材料は卵黄とミルクと砂糖、とリッチに作るなら生クリーム。バニラエッセンス。
ミルクパンに材料を入れ、弱火で(湯せんだったかも)卵黄が固まらないようによくかき混ぜながらとろりとするまで温めて、バットに移し、粗熱が取れたら冷凍庫に入れる。
固まりかけたら泡だて器でかき混ぜ、また冷凍庫へ。
それを何度も繰り返すとなめらかなアイスクリームになる。
アイスクリーマーがあれば本格派のができる。

お菓子作りが好きだった少女の頃、何度か作ってみた。
アイスクリーマーなんてないので固まりかけたら泡だて器でかき混ぜる方式を採用した。
生クリームも経済的事情から省いたので、シャリシャリした食感のアイスクリームになった。
それはそれでけっこう美味しいのだ。

その、手づくりアイスクリームの風味なのだ、ハーゲンダッツは。
卵とミルクの。しかも濃い。

ハーゲンダッツが日本に輸入されるようになったのはかれこれ25年くらい前だと思う。
もっと前からあったのかもしれないけど、一般人の手に入るようになったのはそんなものだ。
初めて食べたのは、父か母が誰かに頂いたのだろう。
その頃、500ml入りの高級アイスクリームというとレディボーデンくらいだった。
私の実家は世田谷区の祖師谷大蔵というところで(金持ちじゃないので誤解しないよーに。団地です、団地)お隣の成城学園にはよく遊びにいったのだが、今では全国に展開している高級スーパー、成城石井でハーゲンダッツを売っていて、友達の家にお土産にしたり、給料が出ると買って帰ったりしたものだった。
何年もしないうちにあちこちの大手スーパーでなら買えるようになったけど。

そういうわけで(どういうわけだ?)、私はハーゲンダッツが好きだ。というだけのお話しでした。
お風呂に浸かりながら食べるのがまた美味しいんだよねー。