気ままにバツイチ・シングルライフ -14ページ目

アロマセラピストのたしなみ

私にとって、手は大切な商売道具である。
手がガサガサ荒れていたり、角質化して硬くなっていたりするのはトリートメントのテクニック云々以前の問題なのだ。
だから普段からとても気を使う。

まず、ゴルフは厳禁。私はもともとしないのでこれは何の問題もなし。
電車でつり革につかまってはいけない。どうするかと言うと手首を引っ掛ける。私はチビなのでけっこうつらい。
バッグは手で持たない。腕にかける。
水仕事する時は当然、ゴム手袋着用。
マメにハンドクリームを塗る。
そして寝るときには薄手の手袋をして寝る。

私はヘンなところが神経質で、寝るときにはなるべく余計な物は身に着けたくない。
よく、冷えるからと言って靴下を履いて寝る人がいるが、絶対だめ。
本当はパジャマも着たくないくらいなのだが、すっぽんぽんで就寝中にナンカあったら困るじゃん(火事とか、地震とか)。
だから手袋なんてカンベンしてよ、という感じなのだが、プロなのだし、そんなこと言ってられない。
しかたなしに毎晩嵌めて寝ているわけだ。

が、朝になるとしていたはずの手袋がない。
ナゼかそれは2枚とも枕の下に突っ込んであった。
枕の下に手をはさんで脱げるようなスルスルした素材じゃないのだ。
明らかに片方ずつ自分で脱いで突っ込んでいるに違いない。
そんなことが何日かあった。
なんで~?

最近は枕の下にこそないが、やっぱり朝になるとちゃんと脱いである。

ダリ。

先日、教育TVでダリの特集をやっていた。
ダリというと、あの特徴のある髭とシュールな作品が思い浮かぶ。

奔放な人間かと思いきや、年上の奥さんを裏切られてもひたすら死ぬまで愛していたらしい。
奥さんもスゴイぞ。
70歳過ぎて、愛人をつくって家出してるんだから。
しかも数年後、身体を壊してダリのもとへ戻ってきて最期を迎えている。
ありえな~い!
女と生まれたからにはそれくらいしてみたいもんだ。

スペインのダリの邸宅は、現在美術館になっている。
ダリの遺体はその屋敷の床下に収められている。
墓標も何もなく、何も知らない見学者たちがその上を歩いていく。

行ってみたいなぁ。
よし、数年のうちに行くぞ。
新たな目標が見つかった。
貯金、貯金~。

もう、師走。

もう12月。歳とともに1年の経つのがはやくなっていく気がする。
今年はいろんなことがありすぎて、あっという間だった。

人間、40年も生きてるといろいろなことがあるよなぁ。
まさか自分が離婚するなんて、夢にも思わなかった。
っていうか、夢にも思わなかったことがたくさんある。

バイクに乗っている自分。
アロマセラピストとして働いている自分。
ひとりで暮らしている自分。
ショットバーでひとりで呑んでいる自分。
トゥシューズを履いている自分。
tattooを入れている自分。

ここ3年くらいの間に自分の殻を脱ぎ捨てて、自分自身を変えてきた。
40歳を過ぎても人間って変われるし、ペースは遅くても向上することはできるんだってわかった。

友だち関係もすごく変わった。
昔ならあり得ない人と仲良くなってカラオケしたり、朝まで呑んでたりする。
以前の私は、自ら人と関わろうなんて思いもしなかったのに。
それどころかカラオケなんて大キライだったしお酒もちょっと呑むと眠くてひたすら帰りたかったもんなぁ…

来年は何があるのかしらん。
ちょっと、ワクワク、ドキドキ。

授業参観に行ったのだ。

息子の高校の授業参観に行った。
仕事を遅番にしてもらって、早起きしてわざわざ、行った。

数学の授業。
廊下からガラス越しに息子の姿をすぐに見つけることができた。
いつも息子の話しに出てくる友達と楽しげな表情で話している(ってか、授業を聞け!)。
目が合ったので手を振ると、視線をそらした。

授業が終わると、すれ違いざま「なんで来てんだよ」だと。
こンのぉー!
おめーが「授業参観あるから」とか言ってプリント持って来たんだろーが。

と、ちょっとムカついたけど、そういう年頃だもんね。
ホントはうれしいくせに照れてんのね、と思えばハラもたたない。

そう思うのはお互いに信頼しているからなんだろうね。
息子は冷たいことを言ったからって母の愛(ちょっとキモチワルイか)が変わらないことを知っている。
私は私で、息子に冷たいことを言われたからって、本心ではないことを知っている。

愛とは与えるもの。
与える相手がいるって幸せなこと。

単純かな

バレエのレッスンのあと数日はいつも脚が筋肉痛になる。
今日はふくらはぎが痛い。
効いてる効いてる、という感じでちょっとうれしい。

実際、バレエをはじめてから脚が細くなったと思う(あくまでも当社比ですから)。
特に太もも。以前から穿いていたジーンズのももが少し余るようになった。
むくみもなくなった。

家に帰ってきてから、スリッパのままピルエット(片足でまわること)してみた。
ぐらつくことなく、くるりと1回転してゆっくりと元の位置に戻り、ポーズ。
いつの間にかできるようになっていた。
こういうことって不思議なもので、ある日突然ふっと、できるようになったりするんだな。
だから、トゥシューズでまだ上手く立てなくても大丈夫。
ある日ふと、当たり前のように立ってパ・ド・ブレできるようになるから。

40過ぎて出来なかったことが出来るようになるって新鮮だし、純粋にうれしい。
単純なだけ、という説もありますが。

彼女を見ればわかること

何を借りようか全然考えずにTSUTAYAに行った。
ラブストーリーもコメディーも見る気にならなくて、偶然目に入ったのが「彼女を見ればわかること」だった。
特にヒットしたわけではないし、キャストに特別好きな人がいたわけでもない。
何か感じるところがあって借りてみた。

グレン・クローズがとてもチャーミングだった。
ショートカットにシンプルな服、化粧っけもなく華やかな美人ではないけれど、落ち着いていて知性を漂わすまさに大人の女、という感じ。
こんな風に歳を重ねたいなぁ、と思った。
っていうか、いつになったら大人の女になれるんだ?私は。

それがね、なかなかうまく行かない恋に悩んでいるの。
男からの電話を待って待って、切なくてひとりで泣いたりして。
タロットカードで占ってもらったりなんかして。

恋をすると人はときに愚かになる。
詩人にもなるし、哲学者にもなるし、犯罪者になる人もいる。
良くも悪くも大きなエネルギーを生み出すんだ。

それってすごくない?

あたま、うに。

同じ言葉、同じ行為でも相手と自分に温度差があると重さが違ってきてしまうことはよくあることかもしれない。
何気ない相手の一言に深く傷ついて、何日も悶々と悩んだ挙句に
「どうしてあんなこと言うのか真意を訊きたい」と決死の覚悟でメールをすると、
「は?ナニ怒ってるの?」とか返信が返ってきたりして肩透かしを食う。
それが酔ったときのハナシだとなお始末が悪い。
酔った勢いで本音を漏らしたのか、本当に深い意味はなかったのか、量りかねたりして。

つうワケで悶々とした数日を過ごしておるわけですよ、ワタクシ。

が、せっかくの休日をうだうだ寝て過ごすにはもったいないので、行こう行こうと思いながら、まだやってるからいいや、と先延ばしにしていた「ピカソ展」に行ってきた。
先月も行ったが、今回のは「躰(からだ)とエロス」をテーマにパリ・国立ピカソ美術館の所蔵品を借りてきたもの。
ピカソ展についてはまた別の機会に書くとして、ミュージアムショップで面白い本を見つけて買ってしまった。

「この人ゴミを押しわけて、はやく来やがれ、王子さま。」

ランゲージアーティストのイチハラヒロコのプロデュースによる作品集(?)で、キャッチコピーのような短文が1ページにひとつ印刷してあるだけの本なのだけど、ハマッてしまった。
何度見てもおかしい。
口元がゆるんでしまう、というのか。
例を2つ3つ4つ。

ひとりで
決められない。
ひとりに
決められない。

最近、
めっきり。

しつこいわね
ベタベタ
しないでって
言ってるでしょ!
ちょっと
つきあった
からって
ズーズーしいのよ
ったく!
って言ってみたい。

いちばん
好きなひとが、
いちばん
気持ちいいし。

などなど。
なんとも言えない可笑しさと、ちょっと切ない気持ちや自虐的だったりヤケクソだったり。
たった一言なのにいろんな感情が感じられて、パラパラページを繰っているだけで元気が出てくる。
本屋さんで見かけたらぜひ手に取ってみて。

猫は家につく、と言うけれど。

元の家に残してあった荷物をみんな引き上げてきた。
衣類や身の回りのものははじめの引越しで持ってきていたが、オフシーズンのものや本など、半分くらいは残してあった。
「置いといていいよ」という元夫の好意に甘えていたが、義理の姉が「離婚したのにいつまでも荷物を置きっぱなしにして出入りしているなんて非常識だ」という明らかに嫌がらせの電話を、直接私にでなく実家にかけてきたり、「いいよ」と言っていた当の元夫が「捨てる」と言い出したり(元夫は鬱病などを患っていてその日、そのときで態度や言うことがコロコロ変わる)、姑もいるので元の家に出入りしづらいこともあって、サッパリ引き上げることにしたのだ。

段ボール箱に約20個。衣類などだいぶ捨てて(ゴミ袋10ケ以上捨てたなー)それでもこの量。
17年もひとつところに生活すると増えるもんである。

捨てた物の中に、大学時代の油絵の道具と、卒業制作に描いた50号のキャンバスがあった。
私は裸婦を主に描いていたので、卒制は当時もう付き合っていた元夫のヌードを描いた。モデル代も浮くし。
「午睡」というタイトルで、まどろむ彼とそばで丸くなって眠る愛猫のナルちゃん。
ナルちゃんは3年前に死んだ。

引越し業者に運んでもらって、あっという間に段ボールの山が狭いアパートの部屋に積み上げられた。
「これ、どうすっぺかなぁ」などとぼんやり考えていたら何かこみ上げてきた。

17年暮らした家。
私の希望通りにリフォームしたシステムキッチンやリビング、寝室、子供部屋。
壁紙を選び、クローゼットの扉や取っ手を選び、床の材質を選び…。
家族の誕生日やクリスマス、お正月を揃って祝い、お盆に法事に、それから、それから…
涙が止まらない。

もう2度とあの家に住むことはない。
バイバイ、思い出がつまった私のお城。

……

なーんて、感傷に浸るのもいい加減にして、この段ボールの山をどうするか真剣に考えよう。
何せ押入れが半間しかないので、しまいようがないのだ。
もっと必要な物だけ絞り込んでタイトに暮らそう。

そう、テーマは「思い出はたくさん、荷物は少なく」

孤独の楽しみかた

欲望に忠実に生きること、の続きを書こうと思って途中まで書いたんだけどまとまらないので時間をおくことにした。

今さらだけど、私は6月に離婚して息子2人を夫に託して家を出てひとりで暮らしている。
都内に両親も健在だけど一緒に住む気はないし、ほとんど実家に帰ることもない。
「ひとりで寂しいんじゃない?」みたいなことを言われることもあるけど、正直に言おう。

さびしくない。

息子たちに申し訳ないくらい。自分でも薄情なんじゃないかと思う。
ま、息子たちは近くに住んでいてメールのやり取りもしているし、週に1度はご飯を食べにくるので「あーせい、こーせい」とイライラしなくていいくらいだ。
元夫に関しては言わずもがな。
先日久しぶりにあったら疲れたわさ。

男友達はいて、たまに飲んだり、ツーリングに行ったりはするけど、特別の関係の人ではない。
それはね、さびしい時もある。
どーんと落ち込んだりしたときにそばにいて優しく抱きしめてくれる人がいたらなぁって思うこともある。
でも私は誰かと付き合うとその人にとことん合わせてしまうので、ひとりの期間というのはすごく貴重なのだ。

好きな人に合わせるのはぜんぜん苦痛じゃない。
むしろ楽しいし、それによって世界が広がることもある。

だけどそれは私にとっては危険だったりする。

夫とうまくいかなくなって、休日を別々に過ごすことが多くなってひとりでビデオを借りて観たり、映画館に足を運ぶことが多くなって、あることに気がついてちょっとショックだった。
私は自分の好きな映画を全く観ていなかったのだ。
ビデオを借りるときも、いつも夫が好きなアクションものとかハリウッド系のものか、家族で楽しめる作品ばかり。
我慢していたつもりはなかったので、無意識に自分を抑えていたのがかえってショックだった。

昔から、彼氏と別れるとよく本を読んだ。
心の拠りどころがほしかったし、何故うまくいかなかったのか、いろんな恋愛のカタチを研究したかったのかもしれない。
ボーヴォワールとかも読んだな。さっぱりワケわかんなかったけど。

今の私は自分の世界を広げているところ。
仕事だってまだ一人前じゃないし、自分はどう生きたいのか、わかってない。
観たい映画はたくさんあるし、読みたい本もいろいろある。
ブログもできれば毎日更新したい。
バレエももっともっとレッスンに通いたい。
時間さえ許せばまたイタリア歌曲も習いたい。
友だちと朝まで呑んだりしゃべったりするのも楽しい。
まだまだ墨も入れちゃうよ。

ところが、彼氏ができた日にゃぜーんぶ脇においといちゃうようになっちゃう。
男のひとは割りと彼女より趣味を優先しちゃう人が多いみたいだけど、女の人の多くは彼を優先しちゃうんじゃないかな。

だからね、今はひとりでいい。
器用じゃないから。
孤独を楽しんでいる、という今の状態を気に入っているのです。

己の欲望に忠実に生きるということ・つづき

続きを書こうと思っていたのだけど、昨日は残してきた荷物をまとめに元亭主の家に行って疲れてしまった。
もともと体調が悪かったせいもあるけど。
明日も研修があるのでまた明日。