気ままにバツイチ・シングルライフ -13ページ目

イブイブだねぇ。

あ、日付替わったのでイブだ。

私の職場は某大手スーパーのショッピングモールに入っているので、今日はクリスマス包装カウンターが大忙しだった模様。

若い人たちにとっては大事なイベントのひとつなんだろうなぁ。
私みたいに歳くっちゃうと、もうどうでもいいんだけどね。
そもそもクリスチャンじゃないし。

とは言いながら、20日の月曜日、ひと足早く息子たちとクリスマスパーチーをした。
息子たちの好きなグラタンを作ってチキンはケンタッキー、ケーキも買ってシャンメリー(シャンパンもどきサイダー)でカンパーイ!
クラッカーも鳴らしちゃった。

「お父さんとはしないの?」と息子に訊いたら
「男ばっかでクリスマスなんて虚しすぎるでショ」だって(ばーちゃんもいるんだけど)。
あらー、お母さんでも華を添えてるってことかしらん。

なんて喜んでいたら「クリスマスプレゼントはないの?」ときた。
んもー、デカイくせに何言ってんだか。

「お母さんはね、ビンボーなの」ということにしておいた(いや、ホント)。
もうすぐ正月でお年玉あげるんだからさ。
だいたいお前たち、母の日にカーネーションとかくれたことないだろーが。







バレリーナの素顔

今日は休み。
今年最後のバレエのレッスンだったので、レッスン後先生を囲みみんなで昼食をいただいた。

私のクラスは平日の午前中なのでほとんどが主婦だ。
20代後半から50代まで。
レッスンのときはレオタードにタイツ、バレエシューズが基本で、あとは各自思い思いのスタイルで重ね着している。
スパッツをはく人、巻きスカートの人、カシュクールを着る人、サウナパンツの人。etc
私はショート丈のウォームパンツに太ももまでのレッグウォーマー、寒い時はTシャツも着込む。
スタイルだけを見るとジェニファー・ビールス(by フラッシュ・ダンス)って感じ。
早いハナシ、カッコだけはプロのダンサーっぽかったりして。えへ。

それでいいのだ。
ダンサー気分も楽しみのひとつなんだから。

新しく入会してくる人たちもはじめはレオタードの上からTシャツを着、スパッツをはき、色合いもみんな黒っぽく体操教室みたいなのだが、半年くらい過ぎるとだんだん変わってくる。

「それおニュー(死語)じゃん?どこの?」
「チャコットのセールで買ったのー」なんて会話も楽しいのよ、奥さん。
バレエのウェアは高いのが悩みのタネだ。
あー、でもそろそろ新しいレオタードほすぃなぁ。
給料出たら買っちゃおうかな。自分にご褒美(そればっかりやん)。

クラスの人たちはほとんどが大人になってからバレエを始めた人たちだが、中には子供のころ習っていて、また始めたという人もいて、そういう人は当然ながら上手い。
身体も柔らかく、脚も高く上がるし、基本が身に付いているので動作のひとつひとつが美しい。
シニヨンに髪を結ってトゥシューズで踊る姿はバレリーナそのもので見とれてしまう。

ところが、レッスンが終わって着替えると、そこにいるのはフツーの主婦だ。
別にヒミツにしているわけじゃないだろうが、踊っているときの彼女の姿を知る人は少ないだろう。
ご主人ですら見たことないのかもしれない。
もったいない!きっと惚れ直しちゃうよ。

人はみな、色んな顔を持っているんだね。
あなたのパートナーにも知らない顔があるかもしれないよ。

忘年会の巻。

土曜日はバイク仲間との忘年会だった。
元はエストレヤというバイクのオーナーズクラブで、インターネットを通じて知り合った。
忘年会も今年で3回目になる。早いなぁ。

もともと私は社交的なタイプではなく、積極的に自分から友だちを作っていくということはなかった。
親しい何人かの友だちがいれば、その場限りの話し相手など必要ないと思っていたし、そういうのが面倒くさかった。
今でも付き合っている学生時代の友達なんてほんの数人しかいないし、息子を通じて仲良くなったママ友に至っては2人くらいしかいない。

だから今の自分が信じられない気がするときがある。
インターネットというバーチャルな世界を通じて知り合った、同じバイクを所有している、というだけの共通項を持つ人たちと出会い、仲良くなるなんて。

私が中免を取り、エストレヤを買ったのが2001年も終わりに近い頃で、このクラブができたのは2002年の春ごろ。そして私が自分専用のPCを買ってもらい、ネットでクラブを見つけたのが6月頃だ。
待ってました、と言う感じの出会いだ。

メンバーは、下はハタチそこそこの若者から上は45とか6とかのおじ様まで、学生もいればフリーターも、サラリーマンもイラストレーターもWEBデザイナーも、といろいろ。私はその頃は雑貨屋だったなぁ。中心となる年代は20代後半から30歳前後かな。

女性も何人かいたけど、結局残っているのは私ともうひとりくらいだ。
彼女も仕事で最近会ってないな。忘年会にも来れなかったし(寂しかったよ、きっつぁん)。

つまり、私は若い男の人たちに女ひとり混じって呑んだりカラオケしたりしていたわけで。
それって、もう何度もいうけど、以前の私ならあり得ない。

オバサンになって厚かましくなったんだろうなぁ。
もうオバサンなんだからどう思われようとかまわん、という開き直り。
そういう意味では歳を取ることは悪くないな。とてもラクになる。

でも、こんなオバサンを仲間に入れてくれて「女房がこんなこと言うんだけど、どう思います?」なんて話しをふってくれる彼らって心が広いよねぇ。

今年はみんなで走ることがなかったから、来年はどこか走りたいなぁ。
キャンプなんかもいいよね。

あ、その前に新年会か(いつになったら走るのやら)。

三者面談

昨日は次男の中学の三者面談だった。
一緒に住んではいないが、なるべく学校行事には参加しようと思っているので休みに合わせて時間を取ってもらった。

成績はともかくとして、先生からちょっと気になることを言われた。
今学期になって病欠がけっこう多いという。
うちの息子たちは年間せいぜい3日とか4日くらいしか休んだことがないのだ。

「学校が嫌なのか」という先生に息子は「小学校の時よりも楽しい」という。
息子のクラスはなぜかO型とB型ばかりだそうで、まとまりがなく1年の中でも問題のクラスらしいが、息子にとっては面白いらしい。

また「お母さんのところに行った次の日に休むことがある」とも。
ん?なんで先生は息子が私のところに来る日を知っているんだ?
息子が話しているのかな。

そういえばこの子は小さい時から、私が忙しくてかまってあげられない日が続くと具合が悪くなる日があったのだ。
朝、起こしに行くと「気持ち悪い」というから休ませる。
あとは「何か食べたい物ないの?」とか用意するくらいで特にかまってあげるわけでもなく、本人もお腹が空くと食べに下りてきて、食べればまた寝てしまう。
そして夕方にはケロッと治ってしまう。

次男はクールであまり表情を表に出さない。
中一で父親よりもお兄ちゃんよりも背が高くてあまり子供らしくない。
言うこともおっさんくさい。

だけど、本当はけっこう繊細なんだよねぇ。
まだまだ子供なのに寂しい思いをさせていると思うと切なくなった。

さっき、次男からメールがきた。
「お母さんにもらったお菓子、にいちゃんが全部食っちゃった」
おいおい、高校生と中学生だろうが。
それから
「また映画に連れてってくれ!」だって。

また映画デートしようねー(はぁと

二度寝の幸福

寒くなってくると眠い。
私は血圧が低いので朝に弱く、ことに冬になると冬眠したいと本気で思う。

ところが!
歳をとってくると長い時間寝てられなくなるのだ。
明日は休みだ!たくさん寝るぞー!と思ってもせいぜい7時間。普段は6時間で目が覚めてしまう。
眠るのも体力が要るんだそうだ。
そうそう、寝すぎると疲れるもんなぁ。

先日、卒業したアロマテラピーの学校のオープンセミナーに行った。
テーマは「PMS、月経トラブルとアロマテラピー」
セミナーの講師で学校の代表である宮川先生のお話しによると生理後から排卵までの期間は二度寝してはいけないそうだ。その期間に二度寝すると子宮内膜症の原因になると言う。
詳しいデータがあるわけではないが、先生が診ているクライアントには明らかにその傾向が見られるそうだ。
多分、骨盤の開閉と関係あるのだろう。

子宮内膜症はコワイけど、二度寝はやめられない。
目覚ましを止めてまた布団にもぐり込み、あと10分だけ…と惰眠を貪る幸福感。
ささやかな幸せを奪わないで~。

「PLAYS GERSHWIN」YOSUKE YAMASHITA

CDを聴いて久しぶりにドキドキしちゃった。
なんてエキサイティングな演奏!

私はジャズもロックもクラシックも語れるほどの知識があるわけじゃないけれど、ジャンルを越えて、理窟を抜きで音楽が大好き。
音楽を含めてアートって所詮自分が好きか嫌いかじゃん。

すごいよ、これは。

デートしちゃった!

なーんて、次男と映画を観にいったのでした。
話題の「ハウルの動く城」

早めに待ち合わせてアフタヌーン・ティーでティータイム。
中一の息子はアップルパイと、ナマイキにもカフェオレなんかオーダーしている。
花模様のカフェオレ・カップと見るからに中坊の息子がミスマッチだ。

「ハウル」は面白かったよ。
何と言ってもイイ男だった。
キムタクの声も違和感なくイメージ通り、という感じ。

そして何と言ってもジブリのアニメに欠かせないおばあちゃんの存在。
元気でたくましく、そして可愛い。
あんなばあさまになりたい、と思わせてくれる。
歳を取るのも悪くないかもって。

私の理想の老後は、元気でワガママで自立したおばあちゃん。
息子の顔色窺いながら面倒見てもらうなんてまっぴら御免。
寝たきりはカンベンだから、骨粗鬆症にならないようにせっせとカルシウムでも摂らなきゃね。

お陽様のように。

去年1年間ヒプノセラピー(退行催眠療法)を受けていた。
ヒプノセラピストのコオさんは奥様と一緒に「やすらぎの部屋」というヒーリングルームを運営されている。

http://www.cityfujisawa.ne.jp/~koandmio/


そこから新月と満月の日に配信されるメルマガを読むと、はっとさせられることが度々ある。
今回もそう。
ちょっと抜粋してみるね。

             * * * * * 

さて、先日も穏やかな日差しを背中に浴びながら気持ちよく歩いておりましたら、ふと「ああ、私はこうして太陽に背を向けて歩いているのに、太陽は優しくあたたかく背中を押してくれる。なんとありがたいことなのだろう」と感謝の思いがこみ上げてきました。

私は自分に背を向ける人に対して、こんなに優しい態度をとれるだろうか、と考えました。自分の方を向いてくれる人には優しくできても、そうでない人には冷たくなってしまうときもきっとあるでしょう。恨み言の一つも言いたくなるかもしれません。でも今、私は確かにあたたかく包んでもらっているなぁ、自分にはとてもできないことしてもらっているんだなぁということに本当に感謝せずにはいられなかったのです。


             * * * * *

じーんとしてしまった。
背に当たる太陽の日差しなんて当たり前に思っていた。
太陽に背を向けているという意識すら持ったことがなかった。ましてや感謝なんて…

私自身はどうなんだろう。
自分に背を向ける人にあたたかい日差しをおくってあげられるのだろうか。

何かあったら自分が身代わりになってもいい、と思っている最愛の息子にすら「無償の愛」と言い切れないところがある。
つまり、息子が私に対して愛情を示してくれなかったらどうなのだろう、と。

人は誰でも意識、無意識に関わらず見返りを期待してしまうもの。
それは例えば、微笑みだけでもいいんだ。
自己満足かもしれないけれど。
多分マザー・テレサだって人々の笑顔や「ありがとう」に支えられていたはず。

私は太陽やマザー・テレサには到底なれないけど、背中に当たる日差しのあたたかさを当たり前と思わないように、背中に日差しを投げかけてくれる太陽に感謝することを忘れないようにしよう。

しゃべる男

早番だったのでDVDを借りて観た。

クェンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」ってけっこう古いけど、ちょっと観てみたかったんだ。
スマスマでコントにしてるよね。

「パルプ・フィクション」もそうだったけど、大の男ががん首並べてしゃべるしゃべる。
そしてラストはマンガみたいなオチだった。
は?そう来る?みたいな。
面白かったけどね、私は。気になる人は借りて観んさい。

「男は黙って云々」というのは日本人だけなのかしらね。
私はしゃべる男はきらいじゃない。
声高に「オレがオレが」という手合いは嫌だけど。
女でもそうか。

「レザボア・ドッグス」のタイトルで使っている曲がいいんだな。
なんていう曲だっけ?
一時キムタクが出ていたウイスキーのCMで使ってた。
んーと。元ダンナがCD持ってたんだよね。ただし、いいのはこの1曲だけだった。
聞くところによると、件のCMでこの曲を提案したのはキムタクだそうだ。
上手いよね、そういうのが、キムタクは。

コンプレックス

私の声はとても低い。
今はもうオバサンなので気にしないが、若い頃はすごく嫌だった。
カワイイ声の女の子が羨ましくてしようがなかった。

だってさー、ドスの効いた声でブリブリしても似合わないんだもん。
甘え下手なのはこの声のせいもあると、今でも思ってる。
さとう玉緒なんて、バカっぽいと思いながらいいなぁ、と思う。
「ぷんぷん!」なんて可愛く言ってみたいよ。
また別の人生があったかもしれないよなぁ…。
そっちの人生のほうがよかったかどうかはわからないけどさ。

幼稚園のころから「男みたいな声」と言われて大きくなり、それは密かにコンプレックスとなった。
高校に入学して、部活はどうしようか友だちと迷っていた。
そんなとき、音楽の先生が合唱サークルをつくるという。
その先生は芸大出の新卒だった。ちょっとダサかったけどなかなかかわいかった。
今考えてみると先生と6,7歳しか変わらなかったんだなぁ。
で、面白がって友だちと入部することにした。
人前で歌を歌うなんて死にたくなるくらい恥ずかしいことだったけど「合唱だからま、いいか。」つうことで。

先生がひとりずつ声を聴いてパートを決めた。
私の番のとき、先生は迷いもせず「君はソプラノね」と言った。

ええーーーっ!?

話すときと歌うときは声帯の使うところが違うらしい。
そんなわけで私は歌うことが大好きになった。

高校3年間はフォークデュオを組んで文化祭のライブでギターの弾き語りをしたり、ソロでも「リリー・マルレーン」とか歌っていたり、合唱サークルももちろんコンサートがあったし、選択授業の「器楽、声楽」の発表でもちゃんとイタリア歌曲なんかを歌っていた。
すげーハードスケジュールだったのね、文化祭は。
他にも文学サークルや、美術部、クラスのこともやんなきゃならないし。

勢い込んで声楽を習ったりもしていた。
コンコーネは好きだったけど、コールユーブンゲンは苦手だったな。
音大目指してみませんか?と声楽の先生に言われたけど、それは多分個人教授になると授業料をがっぽり取れるからだ。
なにしろ、聴音と楽典がだめなのはわかっていたので、音大は考えなかった。

大学に進んでからも合唱団に4年間所属していた。
その間に、先輩と付き合ったり別れたりしたけど、合唱団をやめようとは思ったことがなかった。
付き合ってた人が別の後輩とまたくっついたりして、辛かったけど、やめようとは思わなかった。
そのとき私を救ってくれたのは、何よりも歌うことだったから。

声帯って、筋肉の中でも衰えにくいそうで、歳をとっても鍛えれば使えると言う。
大学を出てから20年も歌から離れていたけど、久しぶりにレッスンを再開したらだんだん声が出るようになった。
ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」や「私を泣かせてください」とかイタリア語で歌うのは楽しい(問題は巻き舌ができないことだ)。
今は時間の都合でお休みしているけどまた絶対レッスンに行くんだ。
今のボロアパートでは大声で歌うわけにいかないので、バイクの運転中によく歌う。
カラオケにオペラアリアがあるといいのになあ。