愛される資格って? | 気ままにバツイチ・シングルライフ

愛される資格って?

幸福になるって、愛されるって、資格がいるのだろうか?


そんなものないはず。
人はこの世に生まれてきたからには誰だって存在価値があり、愛されるべきであり、幸福になっていいはず。
そんなこと当たり前じゃん!


わかっているはずなのに、幸福の中にいると怖くなる。
いつか壊れるんじゃないか、本当に私はここにいていいのだろうか?
何か落とし穴があるんじゃないか?


わかっているはずなのに、必死で上を目指す。
もっと上、もっと上に行かなきゃ、努力しなくちゃ。
何のため?
彼に愛されたいから?
ありのままの私では愛してもらえないの?
もっともっと綺麗になって、賢くなれば彼は愛してくれるの?


そして誰かに愛されて、世の中のためになることで存在価値を見出せるの?


違う、何か違う。
哀しすぎるよ、寂しすぎるよ、それって。


私は自分の子供たちを何よりも愛している。
馬鹿でもブサイクでもそれは変わらないだろう。
生きているだけで存在価値があるっていうこと。
子供たちの幸福が私にとっても幸福であるということ。


つい忘れて錯覚してしまうけど、自分自身も親にとっては子供であると言うことを思い出そう。
自分は両親にとって、生きているだけで存在価値があるんだ。
私の幸福が両親にとって幸福なんだってことを。
ありのままの私でいいんだってことを。

それは何かと、誰かと比較することではない、絶対的なことなんだ。