命より大切? | 気ままにバツイチ・シングルライフ

命より大切?

尼崎で起きたJRの脱線事故は過密ダイヤと収益重視の経営体質にあると批判が高まっている。
まだ23歳の真面目な運転士は遅れを取り戻そうと、スピードを出しすぎて脱線、事故になったとみられている。


確かに電車が遅れることで迷惑を被ることは多々ある。
仕事や学校や待ち合わせに遅刻することは人に良い印象を与えないし、精勤手当てがもらえなくなったりすることもある。
相手あってのことなので相手に迷惑をかけることもある。


でも、命を懸けてまで守らなければならないものなのだろうか?


10年以上前の事件だけど、どっかの高校で遅刻した生徒を締め出す目的で校門の門扉を先生が勢いよく閉めようとして、頭を挟まれた生徒が死亡した。
その、しばらく後の母校の同窓会誌での校長先生の文章が印象的だった。
資料が手元にないので正確ではないが、大筋としては「遅刻は死ななければならないほどの大罪なのだろうか?」というものだった。


我が母校は幼稚園から大学までトコロテン式に進学も可能な私立校で(私は高校、大学をここで過ごした)、そのため受験のために必死で勉強するということも無く、私立の割には校則もゆるく(というかほとんど無い)、もともと家庭環境に恵まれた家の子女が多かったためか(ウチはしがないサラリーマン家庭)みんなノビノビとおっとりと学校生活を楽しんでいた。
風紀委員とか生活指導の先生なんてのも存在しなかった。
当然服装とか持ち物チェックなんてない。
遅刻が多ければさすがに担任に注意はされたが…。


確かに遅刻をしない、ということは個人を評価するのにひとつの目安にはなる。
あまりにも遅刻の多い人というのは信用できないとも思う。


でも、何か違う。
どこかで何かを取り違えている。
そう、何が大切かと言うことを。
一番大事なものを見失って、その連鎖が事故や事件を引き起こすのではないだろうか。


今朝TVを見ていたら、犠牲者の遺族が「運転士に対してどう思われますか?」というインタヴューに
「遅れを取り戻そうと必死だったんでしょう、恨む気持ちはないです。むしろ同様に息子を失った(運転士の)ご両親が気の毒です」と答えていた。
これから出勤、というのに泣いてしまった。